ばかばかしいと思いながらも自分に引っかかるのは、私自身も同じ思いを経験しているからだと思う。嫌だった思い出がこみ上げてくるのだ。
ある記事というのは、東京都内の小学校で学校が配ったという「ママ友」会禁止令というニュース。
ばかばかしい、大人であるべき保護者の交友関係まで学校が指導するなんて!って最初は怒りのような気持だったけど、少し落ち着くと、そんな馬鹿げたことを学校が指導しなくてはならないほどことは深刻であるという事実、実際自分が感じた思いがいろいろあがってきて落ち着かない。
日本を離れて暮らす人と話すと、どんな土地にいても、必ず小さな日本人ムラ社会があって、そこに暮らすうっとうしさに共感する。
人間の暮らしなのだから、うっとうしい村社会はアメリカの中にも多数存在する。
同じ宗教、人種、職業。。。 そんな小さな世間の悩みをアメリカ人の友人達から聞くと、アメリカ人は気楽だなあ。。。なんて、そんな風に思ってた自分を反省するのだ。
私は「言葉の壁」という諸刃の刃をつかって、気がつかないだけなのだから。
でも、今は日本人「ママ友社会」のことだけを書きたい。
こどもが絡む付き合いというのは本当に難しい。
自分一人だったら、ばかばかしい。。。で無視したくなるような交遊でも、こどもが入るということで無視できなかったり、こども同士の仲の良さに母親の力量がからんでるような錯覚があって、私を苦しめる。それは、3人の母として、どの子の時も、どの年齢の時にも感じる。
今では仲が良かった家族のお顔しか浮かばないけど、2000年に地元の小学校にお兄ちゃんを入学させた私に、日本人「ママ友」の社会が待っていた。
確か、5,6家族ぐらいの日本人社会があったように記憶してる。
その頃の私は今よりもひどい英語を話していたけど、それでもそれなりに友人に恵まれていた。お兄ちゃんも特に日本人のお子さんとだけ遊ぶというわけでもなく、あたりまえに同級生や、学年の違う子ども達に混じって校庭であそんでいた。
放課後の校庭にはそれぞれ、小さな母親同士のグループができる。
そのグループがスペイン語であれ、日本語であれ、英語以外の言葉を話していたら、その言葉がわからない人は入ってこない。
私はそれが嫌だった。だからこそ、日本語だけで会話している人たちのまわりには行かなかった。私の英語はひどいものだが、それでも、ここはこどもの学校。お兄ちゃんの生活の場で黒子であるべき親の、あたりまえの態度だと思っていた。
そうしたら、そのうち変なレッテルが貼られた「吉原さんは日本人が嫌い」というのだ。
「日本人が嫌いなんでしょ?」って面と向かって言われたことがある。
日本人が嫌いだから、日本人と付き合いたくない人。。。というのである。
ばかばかしいなあ。。。なんて思っている間に、あからさまに不愉快な場面が繰り広げられるようになった。お兄ちゃんは気にもしていなかったけど、母親の私は気持がささくれるような、そんな細かいことがいろいろあった。
このボストン界隈は、2年ぐらいの短い期間暮らして、日本に帰って行く人が多い。
日本に帰る人は、噂という置き土産を「ママ友社会」にのこしていく。
そして、新しくこの土地にやって来た人は、私と一言も話すこともなく「噂」というものをとおして、私を見る。それの繰り返しだった。
吉原さんは○○なんでしょ?って言われたりすると、あああ。。××さんがそういって帰っていったのだろうなあ。。。って容易に想像できてしまう、そんな狭い社会なのである。
あるとき、どうして私がそんなことをする人だと思われるのだろう。。。と泣きたくなるような出来事があった。別に私のことを悪く言われることはかまわない。でも、子ども達のことまで誤解されていろいろ言われることは、母親として嫌だった。
そして、そのときに思ったのだ。
もう、言われっぱなしは嫌だ。自分を話そう。じぶんが言いたいことを伝えようって(笑)
そして始まったのが「ブログ遊び」
拙い文章、恥ずかしいことをいろいろ書いても、それでも私に息をしている気分を与えてくれた。 よっぽど私は、自分が自分ではないような噂話しが一人歩きする「ママ友社会」が嫌いだったのだ、それが私を苦しめていたのだ。。。と、今になってよくわかる。
今日何を食べた、何を感じた。どんなことをした。。。そんなことを公表して馬鹿みたい。自意識過剰。。。自分でもそう思うし、そんな陰口も聞こえてくる。でも、私にしてみたら、勝手につくられた「私」が存在する方が不愉快なのだ。
まあ。。。こんな風に書くのも、自分の「ブログ遊び」を肯定するだけかなあ・・・(笑)
日本でCAPに関わって、学校でいじめについて子ども達に語りかける時、「今、あなた達の目の前にあるものだけが社会だとは思わないで、自分が息をできる場所をさがして・・」と、そんなメッセージを伝えていた。
日本で暮らす「ママ友社会」と同じように、海外で暮らす「ママ友社会」も難しい。
言葉というものに遮断されて、小さな世間をつくり、そして、その中で暮らす人々のストレスのはけ口としか思えないような母親同士の世界を私も見て来たし、体験してきた。
だから苦しんでいる人は、どんな形でもよいから自分に逃げ道をつくってあげてほしいと思う。逃げ道をつくることは甘えていることではない。だって、あなたはこんなに一生懸命くらしているのだもの・・・っとそんなことを思った上で、最初の新聞記事に戻る。
私自身、こんな思いをいろいろしたから、「ママ友会合禁止令」なんて、そんなお達しが出ないではいられないムラ社会の様子が手に取るようにわかる。でも。それでもやっぱり、おかしい。
保護者の人間関係まで、学校が指導、指示をだすなんて、おかしいわ。。。
お兄ちゃんが通った小学校の校長先生はすばらしい方だった。
ある日、私と中国人のお母さんとの間でちょっとしたトラブルがあり、私が困惑して相談に行くと、慌てて上手に表現できない私を見透かしたように多くの説明を求めず「のぶこ、君たち家族は私が好きだろう? 僕を愛してくれる君たちに、僕が悪いことをするはずがないだろう?」と言って赤ら顔の大きな笑顔をみせながら、私たち母親の間に入ってトラブルを解決してくれた。
こんなお達しを学校が出すということは、「禁止事項を破ってまでおきたトラブルに、学校は関知しない」という意思表示以外の何者でもない。そんな荒んだ空気の中で、子ども達はどのように育つのだろう。
ボストン日本語学校がそんなことをしてきたら抗議しなくては!!!。。なんて息巻いたところで、そんなこと、あるはずないよね。きっと(大笑)
新聞の記事を読んで信子さんが辛い記憶を思い出してしまったことに心を痛めますが、でもそれをきちんと自分で乗り越えられている、というのを嬉しく思います。いつもブログや信子さんのお宅に行くと信子さんはいいお友達に囲まれて今は幸せなのが私も嬉しく思います。もう変な噂なんかに振り回されている人なんかいないから大丈夫です。無駄な人間関係に振り回される貴重な時間をマーサ・スチュワートみたいに創造的に使う信子さんを尊敬してます!
返信削除Tさん、コメントをありがとうございました。本当に「ママ友」の問題は、自分一人ではない、こどもという、母親として守らなくてはならない大切な人が絡むので、よけいに難しく、ストレスを感じる問題だと思うのです。お互い上手に息抜きしたいですね(笑)
削除私がこんな風にしていられるのも、家の恥を世界中にまき散らしても、家の中にいろいろなものが散乱していても何処吹く風、の夫のお陰なのかもしれません。大事にしなくては!(大笑)
あの記事をRTされたのは、日本の学校生活をめぐる今の息苦しさを憂えて?と思っていましたが、このブログを拝見して、ご自分も体験なさった辛さだった…とあらためて思い返しています。時代・文化が進むことは人間の心がより豊かに広く暖かくなっていくことと反比例している、と思うことが最近特に多くなってしまいました。でも根っこはそれ以前にも存在していたと思います。「村八分」などの言葉が伝えているように。島国根性が根を生やしているのでしょうか。日本は単一民族と思い込みそれを誇りとする人々は論外として、少数派を排除したがる狭量は寂しいです。親友家族がカナダに転勤したとき10日くらいお邪魔しましたが、やはり、幾種類もの壁があり子どもさん達が孤独に苦しんだと話していました。信子さんの場合に戻りますが、校長先生が立派な方でよかった、その方に救われたと言っても過言ではありませんね。きっとそこからボストン、アーリントンをもう一つの故郷として暮らしていかれるお気持になられたのでは、と思います。寄り添う気持があってこそ人間関係は成り立ちますもの。指示・排除からは血の通う繋がりは生まれないのではと思います。私は戦時中空襲を逃れて数箇所移動しましたが、それぞれの場所で疎開者と排除された時期があります。
返信削除長々と纏まらない返信になってごめんなさい。どうか今の明るくお幸せな日々をお過ごしくださいますよう。
ばあ様。私がこんな風に書いてみたのも、元はと言えば あのようなおふれを出す学校への憤りからです。学校という子どもが育つ場が、このように「人と触れあう」「他人とのトラブルがあっても対処する」という理想を捨ててしまって何が生まれるのだろう、何が教育なのだろうと思うのです。
返信削除「ママ友」という付き合いは、保護者という立場になった時から始まります。確か日本は少子化対策の一環で、新米ママが孤独にならないように育児グループ、プレイグループを推奨していたはずです、それが小学校に入ったら、そういうおつきあいをしないように学校が指示するなんて、なんだか本末転倒。。。不思議すぎます。。。
ムラ社会については、私は洋の東西、時代を超えて、人間の暮らしにはいつでもついてまわるものだと思っています。「ママ友」のいじめにも似た構図も、特に現代病だとは私は思っていません。ただ、教育の場がこのような指示を保護者にして、それをおかしいとも思わないことがとても不思議なのです。。。
はじめまして。
返信削除私は今、まさに信子さんと似たような理不尽な立場に置かれ
非常に苦しい思いをしています。
学校にいる10家族ほどの日本人が疑心暗鬼になり
自分だけは悪者になりたくないと陰でうごめいています。
作り話を流布されることなど日常茶飯の出来事です。
たった1年でもううんざり、転校を決意しました。
子供には申し訳ない思いでいっぱいですが、
ママが幸せでないと意味がないと言って転校を
後押ししてくれた主人に感謝します。
せっかくくださったコメントに気がつきもせずたいへん失礼いたしました。
削除遅れてのお返事をどうぞお許しください。
パパがおっしゃる言葉,その通りだと私も思います。お母さんが精神的に元気で、気持よく暮らすことがお子さんにとって一番よいことだと、わたしも本当にそう思います。
10人ほどの日本人社会がどれほど窮屈なものか,私には本当に手に取るようにわかる気がいたします。どうぞ、新しい環境がお子様にも、お母様にとってもすばらしいものであるようにお祈りいたします。