2014年2月7日金曜日

「いじめ」であると認識させることの大切さ

 子育てをしている中で、私は子ども達の対人関係には極力立ち入らないようにしようと思っている。
それは、たとえどんな状況であっても子ども達の世界があると思うし、それは尊重されるべきであると思うからだ。
それでも姫が昨日泣きながら私に伝えてきたことには,やはり親の私が対応しなくてはならないと思った。そして、姫の許しを得て昨夜遅く担任の先生にメールを送る。
先生は素早く対処してくださった。
今日のお迎えの時、先生とこれから私たち大人がすべきことを相談した。
そのときに、先生がこれを真面目に「いじめ」として受け止めて,許さないという強い姿勢を子ども達に見せたことに私は感動した。
これをよい経験として、相手の子も姫も、多くのことを学んで欲しいと思う。

 ことの発端は今週の月曜日の席替えから。。。

 姫はあまり相性がよくない男の子と同じテーブルになった。
姫は嫌がっていたが、私もあまり気にもせず、いろいろな子どもと接することは彼女の学校生活の大切な一部だと思ってすごしていた。
火曜日も普通に学校を楽しんでいると思って私は過ごし、水曜日は大雪で休校。
そして昨日の木曜日、学校から帰ってきた姫は、耐えられないと涙を浮かべながら私に教えてくれた。
 やめて! そんなこと言わないで! と姫が訴えても、その男の子は姫に不吉なことを言い続けるというのだ。

 姫は学校で使うフォルダーにも、お兄ちゃんと写した大きな写真を入れている。
写真のお兄ちゃんは軍の制服姿だ。
自分の夢を実現する為に軍に入った彼を私も親として誇りに思うし、姫も妹として不安な思いを抱えながらも誇らしげに感じている。
そんな彼女に対して,その男の子は「He will be dead.  He will be dead someday....」と執拗に言い続けるのだと言う。

 私は子ども同士の会話とはいえ、姫が苦しんでいることを先生に伝え、席替えをお願いできないかと尋ねた。
先生の対応は迅速だった。
昼休みの短いひとときに書かれたのだろうと思うが,私に真摯な返答をくださった。
 
  そこにはまず、この事実をきちんと私たち大人に共有してくれた姫への感謝、私への感謝からはじまり、今朝,早速席替えをしたということ。そして、男の子、姫、双方の話しを聞いたということ。聞いた上で校長先生へ報告し、彼の両親とも面談をするということが書かれていた。ご自分のお父様も軍に勤められていたということにも触れて,姫がどれほど不安に思ったことだろうと姫の気持にも寄り添ってくださっている。


 姫を迎えに行ったおり、私は先生と話しをした。
先生は自分の目が届かなかったことを私に詫びてくださった上で、男の子との対話を教えてくれた。
男の子は最初,自分が不快なことを言ったという認識もなかったそうだ。そして、先生がそれは「いじめ(bully)」であると伝えると、自分は「いじめ」などしていないと冗談を言っただけだと泣きながら訴えたという。しかし先生はその言葉を言われた姫の気持を彼に考えてもらいながら,誰かが不快に思ったことを言い続けること。また、やめてほしいと訴えていることを続けること、それはどんないい訳も通用しない、正にそれが「いじめ」であると伝えたそうである。
彼は納得してくれたのだろうか、これから向こうの保護者がどのような対応をするかは私にはわからないが,わたしは先生の対応に心から感動した。

 双方の話しに耳を傾けたこと、たとえ自分が冗談だと思っても人を傷つける言葉を発してはいけないということ、そして一番大切なことは、たとえ遊びのつもりでも他人が不快に思っていることをやり続けることは「いじめ」であると、「いたずら」「あそび」などという逃げを教師として先生自身も自分に許さない、教育者としてbullyに真っ向から立ち向かうという強い姿勢を先生が子ども達に示したことだ。

 人は大人になっても常に間違いをおこす。真っ新な子ども時代は間違いを起こさない方がおかしい。大切なことは、その間違いを起こした時に自分の間違いに気づくことだ。
これから男の子は、校長先生とも対話することだろう。あの校長先生なら穏やかに、男の子の柔らかな心を傷つけることなく間違いを諭してくれるだろう。あとは保護者の方が、間違いを諭したうえで彼を温かく見守ってくれることを祈っている。

 人の世に「いじめ」はなくなることがないだろうと私は思う。
それでも少しでもそれによって傷つく人を減らす努力は、案外こんな小さな芽を摘んでいくことなのではないだろうか。
そんなことをあらためて感じるとともに、信頼できる先生方と一緒に子育てができる幸せを感じた一日だった。



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